第75話   幕末の不慮の事故   平成16年01月17日  

武士の釣では前に不慮の事故の際には、家禄没収や家禄の没収があったと述べた。

文政1010(1827)庄内藩の小室平太右衛門と云う侍が荒天の中加茂磯にて磯釣りをして波に流されたという事件が起きた。同行の鈴木重兵衛に助けられて大事には至らなかったが、それが元で怪我をしたか翌々年に五十三歳の若さで亡くなったと云う事件が起きた。藩庁ではこの事件に関して次のような決済をした。「誠に不行き届きなことであるが、殿様の格別な思し召しにより家禄100石の内十石を減ずる」と。小室家の文書の中に残っている事から現実に、このような処罰があったことは間違いのない事である。

殿様に仕える武士として城下より離れる時は、必ず藩庁に届けを出す仕来たりであった。武士たるもの如何なる時も緊急時に備えねばならなかったから、不在で知らなかったではすまなかったのである。まして許しを得ずに加茂坂を越えての夜釣りなどは以ての外である。

しかしながら許しを得ずに夜釣りを行うために夜道を釣り場に急ぐ者たちが居たことは想像出来る。その為であろうか幕末の武士の魚拓には、必ず磯場名を書き込まれている。しかしながら夜にも釣ったであろう事は、想像出来るがその時刻が書き込まれているものはない。日中の魚拓には時刻が載っているものもあり、意識的に書き込まれていないことが容易に想像がつくのである。それほどまでのリスク(お家取り潰し、家禄の没収など)を背負って、釣に熱中した武士たちが居た。まさに江戸時代の「釣馬鹿 浜チャン」であった。